GOHAN Leaders対談/「うさぎ屋udon」小川洋子さん×「手打ちうどん どん太」佐藤由樹子さん/Vol.1
食事に向き合って素材や作り方を研究する人たちに、ごはんストーリーやレシピをお伺いするインタビュー企画「ごはんリーダーズ」。
12月は、埼玉県や東京都の多摩地方で昔から食べられてきた、「武蔵野うどん」のお店を営む女性二人に対談していただきます。
お二人とも地域情報誌『たまきたPAPER』の「武蔵野うどん探訪記」という連載で取材をさせていただいたお店のオーナー。発達障害を持つ子どものお母さんという共通点があり、ごはんと発達障害というテーマでお話ししていただきました。
原田あやめ(『Minnaごはん』編集長・調理師・保育士、以下「原田」) 今日は夜になってしまいましたが、編集部においでいただいてありがとうございます。小川さんのうさぎ屋udonは火曜日定休、佐藤さんの手打ちうどん どん太は木・日曜、祝日定休と、お休みの日が合わない中ご都合を調整していただきました。
(佐藤さんのスマホが鳴る)
佐藤由樹子さん(「手打ちうどん どん太」店主・以下「佐 藤」) お母さん、いつ帰ってくるのって電話が…すみません。上の子に発達障害があるので、小学校からも、毎日のように電話がかかってきて。
原田 今日は、夫にお子さんを預けて来られたんですよね。
佐 藤 はい。よかったです。預けられなかったら、もう大変だったと思います(笑)。
小川真智子さん(「うさぎ屋udon」店主・以下「小 川」) わかります。よくお店を始められましたね。私の娘もそうなので、小さいときだったらお店なんて、私はとてもできませんでしたよ。
佐 藤 前は夫と、タイ古式マッサージのお店をしていたんですけど。そこがビルの老朽化で立ち退きになってしまって。別のところでまた始めるとなると結構なお金がかかるので別のところですぐお店をするというわけにもいかなくて、私の身が空いたんですよね。
「保育園には入れときたいし、仕事せなな〜」とは思っていたんです。家にいると、それこそ変な方向にばっかり考えちゃって、思いつめちゃって(苦笑)。接客も仕事も好きですし。
ちょうどそのとき、仲のいいママ友が、「宮崎の両親に介護が必要になって、帰郷する」と話してくれて。その人が経営していたのが、今のお店「手打ちうどん どん太」なんです。
原田 すごいタイミングですよね。
佐 藤 そうなんです。「じゃあ、バイトで手伝いに行くわ」って言ってたら、「もうこのお店引き継いで!」ってなって(笑)。
原田 そんな、ほいっとできないですよね!
小 川 じゃあうどんの打ち方から習ったんですか?
佐 藤 国分寺の甚五郎さんのマスターが、もともとのどん太の持ち主なんですよ。それを私のママ友が受け継いで、私もマスターの所にうどんとそばの打ち方を習いに行って、今度は私が受け継いで。
小 川 甚五郎繋がりなんですね。
原田 そうそう! 小川さんも、立川甚五郎で味を覚えたんですよね。
小 川 修行はさせてもらえなかったんですけど(笑)。ホールスタッフで、毎日まかないで味を覚えて。
原田 『たまきた』の取材で、「味を食べたら再現できる」っておっしゃっていましたよね。
画像をクリックすると、「うさぎ屋udon」が掲載されている情報誌を読めます。たまきたPAPER2023春号のP.4です。
画像をクリックすると、「手打ちうどん どん太」が掲載されている情報誌を読めます。たまきたPAPER2023秋号のP.6です。
佐 藤 マスターに聞いたんですけど、甚五郎グループの元があって、そこで全員修行して、のれん分けみたいな感じで甚五郎という名前をもらっているみたいですね。
小 川 そうですね。でも、のれん分けの先でずいぶん味が違うみたいです。
原田 元は一つの甚五郎なんですね。
小 川 所沢の方らしいんですね。
原田 国分寺甚五郎さんでもそんなお話を聞きました。何軒くらいあるんでしょうね。
小 川 私が知っている所だと、国分寺と立川と、五日市街道沿いにありますよね。福生方面に行った方。
佐 藤 やっぱり、働いてはったのは強みですよね、甚五郎さんで。
小 川 強みになってるんですかね(笑)。週に3日ぐらいバイトで行っていただけなんですけど、毎回まかない食べさせてもらえたのは確かにありがたかったです。
原田 1回食べたらわかるんですか? だしは何だとか。
小 川 1回でというと大げさになっちゃいますが、「だいたいこんなもんかな」という目星は付きます。
佐 藤 私は最初、甚五郎さんで食べたことがないまま打ち方やつゆの作り方をを教えてもらいに行ったので、「ほんまにこんな濃い味でいいの?」とか思ってて(笑)
原田 甚五郎ってそもそも何かってご存知だったんですか?
佐 藤 全然知らなかったです。私は、ママ友がやっていたころの「どん太」でバイトをしだしてから「甚五郎系列」っていうのを知って、「甚五郎って何なん?」と思っていて。それからマスターと話をする機会があって「あ、そういうグループなんですね?」みたいな。
もともと関西で育っているから、最初に甚五郎さんのうどんを食べた時は衝撃でした。関西ってやわらかめの麺で、薄いだしなんですよ。こっちで初めて武蔵野うどんを食べて、「なんでこんなに麺が硬くて、だしが濃いの!って(笑)。
小 川 私、ほかの甚五郎さんのうどんを食べたことがないんですけど、ほかの甚五郎さんのうどんって硬いんですか?
佐 藤 硬いです。
小 川 じゃあ全く違うと思う。私が修行をした立川の甚五郎さんは、平打ち麺の細いのどごしのいいうどんなんです。
佐 藤 そうなんですね!
小 川 私も武蔵野うどんをあちこち食べたんですけど、立川甚五郎さんがすごくおいしく感じて、そこに修行に行けばおいしいうどんが作れるんじゃないかと思ってアルバイトに行き始めたんです。
佐 藤 私、最初は東京のうどんの味に慣れなかったんですけど、作れば作るほど、自分好みに変えていったらいいんじゃないかと思って。今は国分寺甚五郎さんに習ったときよりも、寝かせる時間や、踏む回数を増やして、ちょっとのどごしをよくつるっとさせています。でも小麦は変えていなくて、小麦の味がするちょっと硬めのうどんなんです。
小 川 全粒粉ですか?
佐 藤 全粒粉じゃないんですけど、農林61号、田中製粉さんの埼玉の地粉を使っています。前の店長もそれを使っていました。そこは変に変えたらあかん気がすると思って、そのままで。
小 川 粉屋さんに言うと無料でいろいろな粉のサンプルをもらえるから、ちょっと試してもいいかも。私もいろいろ試して、立川甚五郎さんとは違うものをう使っているけど、これがいい!っていうの絶対見つかるから。
佐 藤 じゃあ言ってみよかな。最初は受け継ぐこと、お店をまわすことだけ考えていたので全然、そういうことはやっていなくて。
小 川 変えちゃいけないとか言われてる?
佐 藤 全然です(笑)。
小 川 じゃあトライしてもいいかも(笑)。
佐 藤 最初は、変えるのが怖かったんですよ。ちょっと狂わせると、だしの味のバランスが悪くなったりするかもとか。それで2年くらい過ぎていった感じで、ようやく最近、自分のオリジナリティを出てせてきた気がします。
原田 国分寺甚五郎さん、厳しくないんですね? 「このヘタクソ!」みたいなのは?
佐 藤 それは全然ないです(笑)。
原田 確かに、取材した時も優しい方でした。
佐 藤 もう、全然。うちは名前が違うこともありますけど、でもお店自体はマスターの持ち物ですしね。相談に乗ってもらうこともありますし。国分寺甚五郎のマスターは「好きにしてくれたらっていい」って言ってくれてるんですけど、なかなか思うようにいかないです(笑)。
東京都北西部の多摩地域から埼玉県西部にかけて広がる武蔵野台地及びその周辺地域は昔、水が乏しいため米がとれず、小麦が多く栽培されていました。そのため、小麦を使ったうどんが家庭でつくられ、武蔵野うどんと呼ばれるようになったのです。温かいつゆに冷たいうどんをつけて食べるのが特徴的で、「糧」と呼ばれる野菜を添えると「糧うどん」とも呼ばれます。今でも家庭で打ったことがある人やその味に魅了された人などが武蔵野うどんのお店を出し、伝統が受け継がれています。最近は肉汁うどんが普及し、胡麻、カレーなどのつけ汁も生まれました。なめらかな讃岐風の麺も増えています。WEB『武蔵野うどん探訪記』では過去ご紹介したお店や、うどんの打ち方も掲載しています。
(Vol.2に続く)
共通点の多いお二人。次回vol.2は、其々のお店のうどんへのこだわりに迫ります!